船越 義珍
幼少期と教育
空手の日本への紹介
船越は侍の家系に生まれました。小学校時代に有名な空手師範である安恒安東の息子と同級生となり、その縁で安東から空手の指導を受け始めました。また、安恒糸洲などの他の重要な師範からも教えを受け、昭霊流と昭林流の両方の流派で修練を積みました。
1922年、日本の文部省が主催した体育展示会で空手を紹介するために東京に招待されました。この展示会は空手への関心を高め、船越が日本本土に留まり空手を教え始めるきっかけとなりました。同じ年に、空手をより広い層に紹介するために「琉球拳法 唐手道」という初めての本を出版しました。
松濤館流空手の設立
哲学と原則
船越は、学生たちから「松濤」(波立つ松の意)という愛称で呼ばれていました。1936年、東京に建設された初の公式道場は「松濤館」と名付けられました。「館」は「家」または「道場」を意味します。この道場は松濤館流空手の誕生を導く役割を果たしました。
船越は空手を単なる武術としてではなく、人格形成と道徳的価値の道として捉えていました。「空手に先手なし」(空手に戦いの先手はない)という原則を掲げ、空手が防御のために使われるべきことを強調しました。また、弟子たちに「二十訓」(Nijū Kun)を示し、空手の修行者が身体的にも精神的にもどのように行動すべきかを説きました。
著作と遺産
船越は空手に関する多くの著作を執筆しました。その中には『空手道教範』や自伝『空手道―私の歩んだ道』が含まれます。これらの著作は、空手の技術的および哲学的側面を詳しく解説し、後世の空手家たちに指針を与えました。船越義珍の功績と教えは、空手が世界中に広まることに大きく貢献しました。彼の遺産は、今日も何百万もの空手修行者によって受け継がれています。





